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2009年09月12日

気付き(1)

うちの洗濯機は、日立のドラム式のやつなのだが、
洗濯をすると、回転にあわせて、グラグラ揺れる。


その揺れ具合が、ちょうど、
カーセックス中の車の揺れ具合
に似ていることに気付いた。


まあ、そんな車、見たこと無いけど。

2009年09月06日

戦争について

「8月15日の特攻隊員」という本がある。
終戦を告げる昭和天皇のラジオ放送から5時間後、
沖縄の米軍に対し、航空機に爆弾を取りつけて
決死の体当たり攻撃を行う、
いわゆる特攻作戦を遂行した部隊を追う
ドキュメンタリーである。


昭和54年生まれ、当時25歳であった著者の吉田紗知さんは、
「終戦の日の認識が私たちとは全く違っていた。
 スピードがついた車が急に止まれないように、
 いきなり終戦と言われても受け入れられなかったのでは」
と感じたという。


終戦を迎え、生きて故郷に戻った特攻隊員もいる。
「特攻証言集」というビデオでは、元特攻隊員の老人が、
「戦争に負け、さらに死に損なった。
 戦死した友に申し訳ないという思いをずっと抱いてきた」
と話す。


特攻は人類史上類の無い作戦であった。
太平洋戦争が開始してから約3年、
日本軍は連合国軍に対して劣勢に立たされていた。


この頃、戦闘機による戦艦への爆撃行為が
作戦上で重要な位置を占めるようになっていた。
当時の爆弾には誘導機能は無く、単に投下するだけであった。
物量で勝る連合国軍は、
必要量の数倍の爆弾を投下することで命中率の低さを補った。


日本軍は、これに対抗するためには少ない爆弾を
確実に命中させることが必要だと考えた。
特攻とは、人間が誘導機となり、爆弾もろとも戦艦にぶつかって、
命中度を高める作戦であった。
終戦までに、2500人を超える若者が
特攻任務を遂行し、その命を海に散らした。


特攻作戦への参加は本人の志願制であったが、
半ば強制的に志願させられた隊員もいたという。
しかし多くの場合、祖国や家族を守るための
唯一かつ最高の作戦であるとして、自ら志願したといわれている。


動機は様々だが、どの特攻隊員にとっても、
生きることは如何にして死ぬかということだった。
一旦死を覚悟した人間が終戦を迎えたとき、
ある者は自らが決めた死にこだわり、
ある者は死を先送りにし、
祖国の復旧の為に力を尽くした。
先立った友への罪悪感を忘れることの無いまま。


僕の祖父も、特攻隊員だった。
17歳で海軍飛行予科練習生(予科練)に志願し、
約半年の訓練を経て、九州地方のある基地に
特攻隊員として配属された。


年若だった祖父には出撃命令が下されず、
先立つ仲間を見送りながら、
森の中に隠した飛行機の整備を続けている間に
8月15日を迎えた。
祖父は、生きて故郷に帰った。


4人兄弟の長男であった祖父は、
故郷に戻ると家業である農業を継いだ。
一日も休まずに畑仕事をしながら、
3人の弟を全員大学に進学させた。


8月15日を2日前に迎えたある年の夏、
実家で祖父と食事をした。
祖父は畑で採れたばかりのキュウリをかじりながら、
「戦争は、俺の青春やった」とつぶやいた。


祖父は僕が小学生の頃、よく予科練時代の話をした。
朝は信号ラッパの音で目を覚ましたこと、
隊の食事で出たカレーに驚き、同僚に笑われたこと。
そして、自分は目が良く、飛行機乗りとして
有望視されていたこと。


祖父の発言は、幼い僕には戦争賛美の言葉に聞こえ、
私は祖父をひそかに軽蔑していた。
26歳になって祖父の口から聞いた青春という言葉には、
戦争賛美では片付けられない何かがあった。
青春が、何かを達成するために
命をかけることを意味するのならば、
戦後は兄弟の為にひたすら鍬を振り続けてきた祖父にとって、
特攻隊員として生きた時間は確かに青春だったのかもしれない。
爆弾を抱え、敵艦に体当たりするための青春。


祖父はキュウリに箸を伸ばしながら、
「戦争は、やったらあかん」と言った。
僕はその言葉を黙って聞いた。


双方無言になり、しばらくすると、
テレビから軍艦マーチが流れてきた。
高校野球の第二回戦で、
静岡代表と山形代表が9回の攻防を行っていた。

2009年09月04日

探しものはなんですか〜

先日、愛用していたサンバイザーを無くした。
アーノルド・パーマーの、唾のところが透明になっている
サンバイザーだ。


僕は、個人的な事情により、
サンバイザーのおでこにあたる部分の幅が
2センチ以下のものしか身につけない主義なのだが、
このようなサンバイザーはかなり少なく、
中々手に入れることが難しい。


無くしたサンバイザーは、その前につけていた、
グアム辺りで購入したアディダス製のものを
無くしてから、関西一円のお店をまわり、
OPA8階にあるムラサキスポーツにて
ようやく見つけた一品なのだが、
無くした。


しょうがないので、超安売りセールで売っていた、
同じくアーノルドパーマーのサンバイザーを購入し、
身につけていたところ、研究室のTくんが、
「可知さんのサンバイザーらしき物体を実験室で発見した」
と報告してくれた。


実験室にいったら、あった。


また、先日、愛用していたiPod Shuffleを無くした。
一番最初に出た、チューインガムくらいのサイズのやつだ。


USBケーブル無しで、直接パソコンにつなげるところが
好きで、無くしては新しく買い、持っていた奴が
4つ目くらいにあたるという一品なのだが、
無くした。


さすがに、5個も同じものを買うのも未練がましいので、
代替品を探したところ、サンディスクが販売している、
「Sansa」というMP3プレーヤーがいい感じだ
という噂を耳にし、アマゾンアメリカ版でわざわざ輸入して買った。


FMラジオも聞けるので、気に入って使っていたところ、
めったに履かないズボンを久しぶりに履いた際、
ポケットに何かごそごそしているものが入っており、
取り出したところ、無くしたiPodだった。


僕はどうしようもなく物を無くす癖を持っている。
昔読んだドラえもんのグッズの中に、
どこかな窓」というものがあり、物をなくすたびに、
あれがあったらいいのにとリアルに渇望するありさまだ。


8月31日は、探し物が2つもいっぺんに見つかったので、
どこかな記念日と命名したい。

2009年09月03日

研究室旅行2009 in 琵琶湖 (2)

夜ご飯に定番のバーベキュー、
その後キャンプファイヤー、花火と、
青春まるだしのイベントをこなした後、
部屋に戻ることにした。


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上機嫌な教授


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を尻目にはしゃぐ研究員達


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手持ち花火でガンキャノンを演じる研究員K


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を尻目に手持ち花火で謎の舞を舞う研究員T


宿泊したのは、白浜荘という宿。
本研究室は工学部であり、メンバーの9割が野郎なため、
ロッジを借り切ってみんなで同じ部屋に泊まった。
一部女性陣のみ、別館での宿泊になった。
もちろん教授も一緒だ。


誰か知らないが、高級ブランデーナポレオンを
買ってきており、まだ残っていたため、
「トランプで負けたらナポレオン一気」という
いまさら合コンでもやりそうにない
学生ノリ丸出しのゲームが開催されることになった。


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これがナポレオンだ


最初はババ抜きをやったが、
参加者が13人くらいおり、カードが揃わず
全くゲームが進行しないため、討議の末、
7並べにゲームが変更された。


しかしながら、このゲームでも、
7近辺のカードを持っていない参加者が続出し、
3連続パスで一瞬で負けが決定するという
ババ抜きとは反対の結果になり、
これも開催1回でお蔵入りとなった。


その後、ゲームを大富豪に変更しようとしたものの、
カード2枚での階段はありなのか、
ババにはスペードの3で勝てるのかなど、
マニアックなローカルルールが参加者からたくさん出てきて、
統一がめんどくさいので、やめになった。
デファクトスタンダードの重要性を感じた瞬間であった。


その後、試行錯誤を経て、比較的大人数でもプレーが可能な
UNOになったものの、殺傷能力の高いブランデーにより
棄権者が続出し、全く量が減らない。


いつのまにか、ゲームの敗者だけでなく、
ゲーム中に何かしらのチョンボをした場合にも
ナポレオンが支給されることになり、会場は騒然となった。


最終的に、参加者が5人くらいになり、
一生懸命戦ったものの、誰も幸せにならない
ナポレオン争奪戦に嫌気がさし、寝た。


翌日、起きると、教授が、
「寝てるとき、何回か蹴られたんだよなあ」
と言った。


僕は教授の隣で寝ていたが、寝相の良さには自信があったので
僕ではないと高をくくっていたのだが、僕の隣で寝ていた
4年生のHくんが、


「それ、多分可知さんっすよ、僕も蹴られましたもん」


とカミングアウトをしたため、犯人の汚名を着ることになった。
犯人になったことよりも寝相がそんなに悪かったことにショックを受けた。


その後、教授の携帯の着うたとして設定されていた
「ラジオ体操第ニ」にあわせてみんなで体操し、
帰りのバスの時間になるまで再び琵琶湖で泳いだ。


僕は昨日のビーチボール救出劇で水泳には十分満足したので、
もっぱら琵琶湖に生えている藻の採取にいそしんだ。


帰り際、教授がいきなり、


「いやー、30年ぶりに湖でオシッコしたけど、
 あれは気持ちよかったなあ」


とカミングアウトしたのに、研究員一同、騒然となった。
まあ、僕もしたけど。

2009年09月01日

研究室旅行2009 in 琵琶湖 (1)

研究室旅行で、琵琶湖に行った。


旅行先を決める際、個人的には、富士山登山など、
ストイックなものを希望していたが、研究員のご家族も
気軽に参加できるように、ということで、琵琶湖になった。
結果的には良かった。


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真夏の湖が似合う男達


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を尻目に花札に興じる男達


研修員のOさんが、奥さんと2人の娘さん
(みーちゃん3さい+なっちゃん10ヶ月)
を連れて来られており、嫌がられながらも一緒に遊んだ。


僕はスイカのビーチボールを1つ持っていたのだが、
みーちゃんがそれで遊んでいたところ、
風に流されてしまった。
Oさんも子どもの面倒をみないといけないので、
僕がとりに行くことにした。


最初は浜から30メートルくらいのところにあったのだが、
風でドンドン沖に流されていく。
気付くと、「ここから先は遊泳禁止!」
の表示のところまで来てしまったが、
あと少しで届きそうだったので、先に進むことにした。


ところが、日が暮れて風が出てきたのか、
一向に追いつかない。
平泳ぎだと追いつかないので、クロールに泳ぎを変えてみたが、
なにせ20年ぶりくらいに真剣に泳いでいるため、
すぐに肩が上がらなくなってきた。


琵琶湖には、藻が生えていて、
ある程度沖まで出ても水面に漂っており、
泳ぐたびに乳首をサワ〜となでて行くのだが、
いつしかそのサワ〜も無くなるほどの水深になった。


まずい、これはまずい、と、恐れおののきながらも
ビーチボールを追いかけ、最後の力を振り絞ってキャッチ!


ぜーぜーいいながら、達成感に浸っていると、
なにやら周囲に気配を感じた。


何だ何だ、巨大ブルーギルかと振り返ると、
何艇かのヨットが僕を取り巻いていた。
どうやら、沖まで出てきたとんだチキン野郎の身を案じて
救出に来てくれていたようだ。


彼らは、「よくやったな、坊主!」といわんばかりに、
親指をぐっと立てて僕に見せてきた。
日焼けした肌からこぼれる白い歯がまぶしい。
僕も彼らに応えるように、親指を立て、
ビーチボールを抱え、バタ足で浜まで帰宅した。
結局、遊泳禁止のところから50メートルくらい泳いでいた。


浜に戻り、みーちゃんにビーチボールを渡してあげたところ、
はにかみながら、「おにーちゃんありがとう」といった。
確実に僕に惚れただろう。


日が暮れて、ご飯の時間になった。


つづく。

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