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2010年02月26日

依存学ことはじめ

何かに「はまる」現象を多角的に研究する
「依存学」を創設する動きがあるらしい。


これまでは薬物などの依存症の医学的研究はあったが、
ギャンブル、ゲームや携帯電話などにはまる現象については、
実態すら不明だったようで、大変興味深い試みである。


3月14日にはシンポジウムも開催されるようで、
今後の活動から目が離せない。


ところで、このシンポジウムのポスターには、
ジェンガに熱中する女の子の写真が使われている。


ジェンガにはそんなにはまらないような気がするのだが
どうなのだろう。

2010年02月21日

卒業記念食事会

研究室の卒論および修論の審査会が終了した翌日、
ささやかな食事会が開催された。


この会は、社会に巣立つ学生を祝すことを目的とし、
ひたすら王将の餃子を食べまくることを趣旨とている。


最も多くの餃子を食した研究員は餃子王と称され、
研究員の中で高い評価を受ける。
また、学会のプレゼンテーションに
王将のロゴを掲載することができるという
どうでもいい副賞もついてくるらしい。


午後7時、研究室に100人前の餃子が王将から届けられた。
一説によると、王将では餃子を一日100万個作っているので、
当研究室で全生産量の0.06%を買い占めたことになる。


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これが100人前の餃子だ


テーブルに並べられた3台のホットプレートに
餃子が隙間なく敷き詰められていく。
その美しさはふぐ料理屋におけるてっさを彷彿とさせる。


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ジュー


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焼けた


教授の挨拶とともに、食事会がスタートし、
研究員一同、餃子を食べ始めた。


さすが王将の餃子だけに、
はじめのうちはうまいうまいと食べ続け、
3台のホットプレートでも間に合わないくらいに
餃子は減り続けた。


だいたい20個くらいを食べると、
食べるのが辛くなってくる。


このあたりになると、餃子大食い王のタイトルを獲得するには、
他人の胃袋に如何にしてダメージを与えるかが重要になり、
一升瓶を片手に研究員が徘徊を始め、
いちゃもんを付けては酒を飲ませるという
醜い足の引っ張り合いが始まった。


食事会も佳境を迎えると、
餃子が焼かれる音に対しても嫌悪感を抱くものの、
この頃になると、ホットプレートが空になったら
餃子を補充するということが頭に刷り込まれているため、
誰からとも無く誰からも求められていない餃子を焼き始めるという
まさに惨状を呈する光景が見られた。


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何もかも油でズルズル


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目の輝きを失った研究員達


最終的に、100人前中、96人前の餃子を食べた。
僕の成績は31個というまったくもってしょぼいものであった。


チャンピオンは合計60個の餃子を胃袋におさめたO高君。
彼が3月に発表予定の国際学会ポスターには、
王将のロゴが燦然と輝くことであろう。


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戦績


ちなみに、サイドメニューとして用意されていた白ご飯は
結局0.3合くらいしか減っていなかった。


翌日、胃は思いのほか快調で、
僕は朝からあんドーナツを食べた。

2010年02月16日

出産速報

2月10日の0時くらいに女の子が産まれた。
僕は妻の出産に立ち会った。


8日に陣痛が始まり、
病院を行ったり来たりした後、
9日の未明に入院した。


その後は陣痛が進まず、
昼くらいまで妻は普通に歩いたりしていた。
というか陣痛を早めるためにむしろ積極的に
病院を歩き回ったりスクワットをしていた。


19時くらいになり、
お腹が痛そうな表情をする時間が増えてきたが、
助産師さんいわく初産なのでもう少しかかりそうですね
とのことだったので、いったん妻の実家に帰って
ご飯を食べ、お風呂に入り、仮眠を取ろうとしたところ、
病院から電話があり、
予想外に陣痛が進行してるので、
早く来てくださいとのことだった。


僕はビデオを持って車に乗り、
一昨日から既に4往復している近大病院に向かった。


病院に着くと、妻は露骨にしんどそうであった。
3分に1回くらい強い陣痛が来るらしく、
その度に腰をひたすらさすってあげた。


出産時の呼吸法で最も有名なのは
ヒッヒッフー でおなじみのラマーズ法であるが、
近年はこれに変わる新たな呼吸法として、
「ソフロロジー」というものがあるらしい。


ラマーズ法が、陣痛の痛みを忘れるための呼吸法であるのに対し、
ソフロロジーは、陣痛を幸せな痛みと捉え、
たたひたすらに息を深く吐いて力を抜くという、
テクニックというよりほぼ自己啓発なのだが、
いつの間にか妻はこの手法を習得しており、
表情は辛そうながらも非常に深く息を吐いていた。


僕はそんな妻の苦痛を少しでも和らげるべく、
相変わらず腰をさすりながら、
妻の深呼吸と同じタイミングで息を吸ったり吐いたりすることで、
夫との一体感を体感してもらえるよう努力した。


日付が10日に変わり、
さすがにソフロロジーだけではどうしようもないくらいに
妻の息づかいが荒くなってきた頃、
「そろそろ子宮口が全開ですので、分娩室に移動しましょう」
と助産師さんが言った。


分娩室は思ったよりも普通の部屋で、
ドラマでよく見る分娩台の他は特に目新しい設備などもない。


設備どころか、人もおらず、
さっきからお世話になっている助産師さんが
準備のため部屋を行ったり来たりしていた。
どういう理由かは知らないが、
医師は病院内にいないらしく、
助産師さん一人だけで本格的な出産に入った。


すったもんだの末、
もうすぐ産まれそう、というときに、
ようやく医師到着。ヒーローは遅れて現れる。


医師は遅刻の後ろめたさを
微塵も感じさせない堂々たる歩みで
分娩台の前に立つと、ちょっとした処置をして、
そしたらすぐにオギャーオギャーという声が聞こえ、
「あー 女の子が産まれましたよー」と助産師さんの声。


ああ、産まれたんだな、と思った瞬間、
目の前が暗くなり、立っていられなくなった。
貧血をおこした。


ちなみに、貧血を起こしたというと、
いわゆる赤ちゃんが出てくる場面を
見ていたためだと思われがちだが、
僕は妻の頭の方に立っていたので全く見ていない。
頭の向こうで、ちょっとした出血が
チラチラ見えていたくらいである。


立ち会い前、「旦那さん、血とか見ても大丈夫ですか」
と助産師さんに聞かれた際、
医療工学の研究を行っている僕としては、
いや無理ですと答えるわけにもいかず、
大丈夫ですと断言してみたが、全然だめだった。


赤ちゃんをまじまじと見たのは、
後産が終わってしばらくしてからのことである。


僕は子供の名前を、
赤ちゃんを見た瞬間のインスピレーションで
決めるつもりでおり、
自分自身、どんなインスピレーションが飛び出すのかが
やや楽しみでもあった。


しかしながら、赤ちゃんを見た瞬間、
「ほー これが赤ちゃんか」という思い以外に
全く何のインスピレーションも湧かず、
自分の想像力の無さに愕然としながら、
現在一生懸命辞書を引いている。


とにかく僕は妻を心の底から尊敬した。

2010年02月15日

国籍

日本で生まれて,ロシア国籍を取得した
フィギュアスケート選手についての
報道がよくされているが、
色んな人種の人がごちゃごちゃになっている国では、
こういう報道はないだろうと想像する。


地理的な制約条件で規定された国と、
人間の身体的特徴で規定された人種という
カテゴライズは、どちらが本質なのだろうか。


最近はこれに加え、主義、主張、趣味、趣向といった
人間の興味関心で規定されるカテゴリーも多様化してきて、
ますますこういう問題が複雑になっていくのだろうと思われる。

2010年02月13日

雑誌

美容院、ギャルっぽい姉ちゃんに
シャンプーしてもらった後、
美容師を待つべく椅子に座っていた。


隣には今風の高校生っぽい男が座っており、
僕と同じように美容師を待っているようで、
待ち時間の暇つぶし用に店員から渡された雑誌を読んでいた。
KANSAI1週間とBIDANだった。



少しして、僕のところにも
ギャルっぽい姉ちゃんが雑誌を持ってきた。
それが↓の2つだ。



「スクリーン」は創刊以来60年近くにわたり読者の皆様から愛され続けている、日本を代表する洋画雑誌です(Fujisan.co.jpより)


DIME(ダイム)は、20歳代、30歳代の若いサラリーマンを主要なターゲットにした小学館発行の雑誌である(Wikipediaより)


適切なチョイスと言える。

2010年02月07日

演奏会で三味線を弾いた

僕は長唄三味線を習っているのだが、
先日、「お引初め」があり、参加してきた。


これは、日々修行に明け暮れる弟子たちが
日頃の成果を発表し合う演奏会である。


とはいえ、普通のお弟子さんならまだしも、
僕のような習いたてのビギナー弟子の場合、
演奏としての体裁が整わないリスクがあるので、
プロの演奏家が一緒に三味線を演奏をしてくれるという
かなり豪華な演奏会である。
さらに、三味線だけでなく、
長唄と囃子のプロも参加してくれる、
弟子にとっては非常にレアな機会である。


例えていうなら、
聖飢魔IIの演奏のもと、デーモン閣下と一緒に
「蝋人形の館」を歌うような感じの豪華さであり、
EXILEのライブに参加したオカザイルこと
岡村隆史の心境にかなり近いものがあるだろう。



聖飢魔II のコピーバンド金閣寺II


また、演奏の際、
プロの先生が「後見人」として
演奏者の後ろに黒子のごとく控えており、
間違えそうになると後ろからこっそり
「次は3の弦」などとナビゲーションをしてくれるいう
夢のサポートが充実している。


そうはいっても、
というかだからこそ下手な凡ミスは許されない状況であり、
それなりのプレッシャーを感じた僕は日夜、
腱鞘炎一歩手前のところまで練習を繰り返した結果、
無精髭も剃らず髪の毛も伸び放題という
かなりふざけた面構えで当日を迎えた。


発表会用の着物は事前に手配していたが、
普段着物どころかまともな洋服すら着ていない僕が
着付けをできるはずも無く、着物を紙袋に入れたまま
会場である先斗町歌舞練場に向かった。


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会場


開演1時間前に歌舞練場に向かうと、
直前のリハーサルに励むお弟子さんの指導をしつつ、
関係者に挨拶をしてまわるお師匠さんの姿があった。


その立ち振る舞いは誰がどう見ても忙しそうであり、
紙袋片手に70年代風のジーパン姿で現れた
新入りの弟子の着付けを行う余裕は
身体的にも精神的にもあるはずもなかったが、
かといって放っておく訳にもいかず、
結局演奏の手伝いにこられていた別の先生に
着付けをしてもらうことになった。
先生もまさかこんなファキンジャップの着付けを
手伝うはめになろうとは夢にも思わなかったであろう。


先生は僕の無精髭等には特に文句もいわれなかったが、
僕が普段眼鏡に付けている、首にかける用のストラップを指差し、
「まあ別にいいんだけど、取った方がいいね」
と指摘されたため、即座に取った。


僕の出番は開演から1時間半ほどであり、
着替えも終わった僕は特にすることも無かったのだが、
他の人の演奏をゆっくり楽しむ余裕もなく、
時折トイレに行く振りをしては、
度重なる修行の末に身につけた
「エア三味線練習法」によって最後の調整を行った。


ちなみにエア三味線とは、
頭の中に三味線を思い浮かべ、
その三味線を弾くことであたかも現実に
三味線を弾いているがごとく体験できる練習法であり、
簡単にいうとただのイメージトレーニングである。


いよいよ次が僕の出番というころになり、
先生方がいる控え室に入ってみると、
そこには出番を前にウォークマンで集中力を高める弟子や、
虚空の一点を見つめたまま微動だにしない先生で
ごった返しており、かなり異様な緊張感に包まれていた。
こういう緊張感は、幼稚園のときのお遊戯会か
大学受験の時以来である。


僕は心を鎮めつつも、
長過ぎる前髪が前に垂れてくるのが気になり、
必死に前髪を七三分けにするべくセットを行ったが、
結果的には演奏開始20秒で前髪が全て落ち、
往年の大木凡人のような形相で演奏を行うこととなった。



往年の大木凡人


前の演奏が終わり、いよいよ出番になった。


出演者、おもむろにひな壇に立ち、一同正座。
隣の先生のかけ声で演奏がはじまった。


僕は上段センターという
逃げ場の無いポジションにて三味線を弾いた。


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演奏の様子


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がんばれ、大木凡人


結果的に、3回ほど後見人の先生にお世話になったが、
致命的なミスは無く演奏を終えた。


緊張から解き放たれ、
朗らかな爽快感と軽い高揚感を感じていた僕は、
この気持ちの昂りを誰かと共有したいと思い、
控え室に戻った後に先生方に
「お疲れさまでした!」と挨拶をしてみたが、
先生にとってはごく普通の演奏で、
たまたま演奏者に大木凡人みたいな奴が混じっていただけのことであり、
「結構でした、ご苦労様でした」とニッコリ挨拶した後は、
近年における猫カフェのクオリティの高さについて
熱心に議論をされていたのであった。

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