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2010年04月17日

ニュータイプ

誰かと対峙したときに、
プレッシャーを感じることは誰でもあると思う。


僕の場合、あるプロジェクトで一緒に仕事をした
ある役所の人と対峙すると、
言いようもない負のプレッシャーを感じる。
電話で話しているときもそうで、
自然と顔が歪んでくるような気がする。


ニュータイプという概念は、
富野氏の似たような経験から
生まれたものなのではないか、と思ったが、
多分違うだろう。

2010年04月13日

科学とコミュニケーションとウンコ

T教授と話していた時、
コミュニケーションの話になり、その際教授が、
コミュニケーションは科学の手段ではなく目的である
という仮説を言われた。


例えば、自分の子供くらいの人間は、
僕が子供だったときよりも
高度な科学技術の恩恵を受けることができる.
同時に、相応のリスクに晒されることにもなるけど。


幸せ、という指標が存在するとして、
別の時間軸で生きている人と自分とを比べたときに、
どちらが幸せなのだろうかと比較するのは、
多分無理である。


未来に対してたくさんの希望をいだく人がいる一方で、
「昔はえがったなあ」と懐古する人はたくさんいる。


また、未来で生きるほど幸せになれる確率が高まるとしたら、
それはなんとなく不公平である。
時間は、もっと平等なものであるように感じる。


そうすると、マクロ的に見て、
科学の進歩は人間の幸せとは無関係だということになる。


僕は、科学というのは、
ウンコのようなものではないかと思う。


知性を獲得した人類が、生存活動を行うと、
どうしても生産されてしまうものが、
科学なんじゃないだろうか。


科学は、人類生存の結果として生まれる排泄物、
ウンコのようなものであり、
科学をつくることそれ自体は目的にはなりえない。


人間の幸せ、という視点から考えると、
科学の目的はコミュニケーションであるという言葉は、
積み重ねられた科学そのものよりも、
科学が積み重なっていくときに生じる
人間と、他者または世界とのコミュニケーションのプロセスの方が
本質である、ということと近いような遠いような気がする。


といったようなことを、
自分よりも28年下流の時間軸で生きる
娘を見ながら考えた。

2010年04月07日

子育てパパ奮闘記

赤ちゃんを育てていると、
一見どうでもいい様々なスキルを身につけることができる。


例えば、赤ちゃんを抱きながら座る際、
赤ちゃんに対する自分の腕の相対位置が
わずかでも変化すると赤ちゃんは泣き出すため、
着座後に余計な腕の運動が不要になるように
動作をシミュレーションし、
必要な準備を進めるという作業が必要になる。


このような作業は、事前に様々な状況を想定する能力を
醸成することにつながり、研究やビジネスシーンにおける
応用可能性も期待されるところだが、
今のところ活用された実績はない。


また、抱っこしながら寝かせた赤ちゃんを
ベッドに寝かせる際、
赤ちゃんの姿勢を急に変化させると
赤ちゃんは敏感にそれを察知して泣き出し、
また抱っこして寝かせないといけないという
負のスパイラル状況に陥るため、
赤ちゃんを少しずつ少しずつベッドに置く必要がある。


これは物理学でいうところの準静的な変化であり、
力学や熱力学で頻繁に出てきたこれらの概念を
実感を持って理解することができるため、
学習効果が促進される可能性が考えられるが、
今のところ改めて勉強する必要も無いので、
その効果検証には至っていない。


またこの作業は、はやくベッドにおいて自由になりたい欲求と、
慌てると赤ちゃんが起きて
はじめからやり直しになるという危機感との
葛藤の中で行われるものであり、
かなりの忍耐力を必要とするため、
強いストレス環境下においても任務を遂行できる
精神的なタフさを身につけることができる可能性が考えられるが、
カラスと呼ばれる少年いわく、
世界で一番タフな28歳になったという実感は今のところ無い。


それ以外にも、
正座の状態からスムーズに胡座の状態に移行するスキル、
排泄物が許容量の上限ギリギリになったときに
おむつを交換できるようタイミングを予測するスキル、
当初はどうしようかと思うくらいにうざかった
赤ちゃんの泣き声をBGMと捉え心を平静に保つスキルなど、
一見どうでもいい様々なスキルを獲得できる可能性が考えられる。

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