2010年04月13日
科学とコミュニケーションとウンコ
T教授と話していた時、
コミュニケーションの話になり、その際教授が、
コミュニケーションは科学の手段ではなく目的である
という仮説を言われた。
例えば、自分の子供くらいの人間は、
僕が子供だったときよりも
高度な科学技術の恩恵を受けることができる.
同時に、相応のリスクに晒されることにもなるけど。
幸せ、という指標が存在するとして、
別の時間軸で生きている人と自分とを比べたときに、
どちらが幸せなのだろうかと比較するのは、
多分無理である。
未来に対してたくさんの希望をいだく人がいる一方で、
「昔はえがったなあ」と懐古する人はたくさんいる。
また、未来で生きるほど幸せになれる確率が高まるとしたら、
それはなんとなく不公平である。
時間は、もっと平等なものであるように感じる。
そうすると、マクロ的に見て、
科学の進歩は人間の幸せとは無関係だということになる。
僕は、科学というのは、
ウンコのようなものではないかと思う。
知性を獲得した人類が、生存活動を行うと、
どうしても生産されてしまうものが、
科学なんじゃないだろうか。
科学は、人類生存の結果として生まれる排泄物、
ウンコのようなものであり、
科学をつくることそれ自体は目的にはなりえない。
人間の幸せ、という視点から考えると、
科学の目的はコミュニケーションであるという言葉は、
積み重ねられた科学そのものよりも、
科学が積み重なっていくときに生じる
人間と、他者または世界とのコミュニケーションのプロセスの方が
本質である、ということと近いような遠いような気がする。
といったようなことを、
自分よりも28年下流の時間軸で生きる
娘を見ながら考えた。
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