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2011年01月23日

モデル初体験

大学でお世話になった教授は、
クロッキー(速写画)をたしなんでいる。


クロッキー会に参加し、自ら描く一方、
それを創造性向上のための教育の一環にも取り入れており、
自らクロッキー会を主催し、学生とともに描いたりもしているらしい。


ただし、大学内の裸体クロッキー会を実施したところ、
「大学内で女性の裸をさらすのはいかがなものか」
という意見が大学内外から出たらしく、
残念ながら次回クロッキー会は未定である。


僕は現在、アメリカに一年の半分くらい住んでいるが、
一般的に、アメリカの家は、特に装飾のない壁であり、
壁には絵をかけるのが、上流階級のたしなみである。


そのため、学位論文公聴会後の打ち上げにて、教授に、
「卒業の記念に先生の絵をください」
とダメもとでお願いしたところ、
「じゃあ、いつか、可知君を描くから、それをあげます」
と意外なことを言っていただいた。


公聴会の後、すぐに渡米したため、
その後、機会に恵まれなかったのだが、
先日、京都に行ったついでに大学の研究室を訪問し、
卒論提出が迫る学生たちに、
精泉ビンビン液をはじめとする各種栄養ドリンクを差し入れつつ、
教授に挨拶に行ったところ、なりゆきで、
じゃあ今からクロッキーをやりましょう
ということになった。


僕はわかりました、といい、
教授の部屋内で、ためらいつつ服を脱ぎ始めると、
可知君、服は脱がないでいいですと教授がおっしゃった。
別に服を着ていてもクロッキーはできるらしく、
危うく教授に粗チンを晒すという醜態を晒さずに住んだ。


分かっていたことだが、
モデルというのはこっぱずかしいものであり、
なんか適当に動いていてくださいと言われたものの、
どうしてよいか分からず、戸惑いつつもポーズをとってみる。


教授いわく、クロッキーは、とにかくあまり深く考えずに
ドンドン描いていくと、その中に、自分で描いたとは思えないような
形や筆の勢いが残されていることがあるのだそうで、
予想以上のハイペースで描いていく。


3ポーズくらいとってみたところで、
ドアがノックされ、院生のS村君が研究の相談にやってきた。
教授は、クロッキーを続けつつ、ごく自然に
S村君を招き入れ、教授+学生+モデルによる
謎の研究打ち合わせがスタートした。


教授は、打ち合わせ中もひたすらクロッキーを続けていたが、
話が込み入ってきたり、S村君がグラフの説明をするときには
さすがに筆を止め、打ち合わせに集中していた。


最終的に、10枚ほどのクロッキーができ、
その中から、1枚を頂戴した。
教授が誰かに絵をあげるというのは初めてだそうで、
恐縮であるとともに大変光栄である。


ちなみに、いただいたクロッキーにおけるポーズは、
S村君の研究ノートを僕が盗み見しているときのものであり、
S村君および彼の研究ノートに深謝申し上げる。


クロッキーは、渡米後、寝室に飾り、
夜な夜な鑑賞している。

死に際の選択

親戚のおばあちゃんの旦那さんが、
昏睡状態に陥り、
自力では生きられない状態になった。


自力では生きられないものの、
栄養供給用のチューブなど、
しかるべき設備を整えれば、
生きることができる状態で、
今はそのような措置がとられているらしい。
昏睡状態が回復する見込みは、まず無いらしい。


おばあちゃんは、
そんな状態で生きるのは夫としても不本意だろうから、
いつかはチューブを外して、
死が訪れるのを待つことになるだろうね
と言うものの、なかなか、決断ができずにいるようだ。


例えば、自分がおじいちゃんと同じ状態になったとしたら、
僕はどうして欲しいだろうか。
少なくとも、自分がそういう状態にもうすぐなりそうだ
ということがわかっていたら、身近な人に、
チューブはすぐに外してくださいね、と伝えておく
んじゃないかと思う。


でも、例えば、僕の奥さんが昏睡状態になったとしたら、
僕はどういう決断をするだろうか。


昏睡状態になるのが、僕の父だったらどうだろうか。
昏睡状態になるのが、僕の母だったらどうだろうか。
昏睡状態になるのが、僕の祖父だったらどうだろうか。
昏睡状態になるのが、僕の祖母だったらどうだろうか。
昏睡状態になるのが、僕の子供だったらどうだろうか。


いろいろ考えていたら、決断の選択肢は、
相手が誰かによって変わることに気づいた。
それは当然だとも思ったし、
そういう自分が怖いとも思った。


僕が小さいときに、僕の曾祖母が昏睡状態になって、
僕の曾祖父と祖母が、家でずっと世話をしていた。


僕は当時は東京に住んでおり、
実家には半年に一度帰る程度だったし、
当時は小学校低学年くらいの少年だったので、
祖母はどういう思いだったのか、分からない。
介護は多分一年くらい続いて、曾祖母は亡くなったが、
そのいきさつも分からない。


曾祖母とも、ほとんど面識が無かったから、
通夜に行ったときも、特に何の感傷もなかった。
ただ、曾祖母の死化粧を見たら、なぜか泣けてきた。
人が死ぬことを見たのは、それが初めてだった。


自分の死に様を決めるよりも、
他人の死に様を決めることの方が、
ずっと難しい問題だ。


そういうことを、親戚のおじさんたちと話していたら、
最後は涙目になった。

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