2011年02月25日
忘れること
一日のうちに、どうでもいいことをいろいろと考えるが、
そのほとんどは、その日のうちに忘れる。
その、物事を忘れるということを
つきつめて考えると、恐怖を感じることがある。
それはこういうことだ。
ある事象Aがあったとして、
僕は今、事象Aについて考えている。
でも多分、明日になれば、事象Aのことは忘れる。
この、
僕が今、事象Aについて考えている
ということを、明日には忘れる
ということを、事象Bと呼ぶとして、
僕は今、事象Bについて考えている。
でも多分、明日になれば、事象Bのことは忘れる。
この、
僕が今、事象Aについて考えている
ということを、明日には忘れる
という、事象Bについて考えている
ということを、明日には忘れる
ということを、事象Cとして、
僕は今、事象Cについて考えている。
でも多分、明日になれば、事象Cのことは忘れる。
この、
僕が今、事象Aについて考えている
ということを、明日には忘れる
という、事象Bについて考えている
ということを、明日には忘れる
という、事象Cについて考えている
ということを、明日には忘れる
ということを、事象Dとして、
僕は今、事象Dについて考えている。
こういう風に、以下事象E, F...と無限ループが続くと、
答えのない迷路の出口求めて彷徨い歩く君は12月の南風
といったB級歌謡曲の歌詞さながらの、
ものすごい恐怖感が襲ってくる。
自分が、人間はいろんなことを忘れていくんだなあ
ということを考えていたことを忘れて、
それでも自分を自分と自覚しながら普通に生きているであろう
明日の自分を想像すると、不思議だし、恐怖だ。
横山秀夫「半落ち」の登場人物である梶の妻が感じた恐怖心も、
これと同じようなものだと思う。
誰だって、大なり小なりアルツハイマーなのだ。
ちなみに、最近、一度歯を磨いた後、うっかり
10分後くらいにもう一度歯を磨こうとしたり、
歯磨き粉のかわりに、うっかり
保湿クリームのチューブを歯ブラシに塗ってしまう
といった感じの行為が増えてきているが、
これはこれで恐怖を感じる。
- Permalink
- by
- at 19:14
- in ひとりごと
- Trackbacks (0)
