• 著者: 富田直秀
  • 読んだ感じ: N/A (1-3)
  • 読んだ時期: 2025年4月

 

金曜の夜に自宅に戻ったら、聞き覚えのない書店から買った覚えのない本が届いていて、開けてみたら本書だった。謹呈いただいたもののようだ。読んだ。

 

様々な技術を当たり前のように毎日の生活や仕事で駆使して、「できる」ことが当たり前になっている現代社会において、「できてしまう」ことの潜在的な怖さと、その対策 (対策という言葉を使うと富田先生は不本意だろうが) として、敢えて狭い視点にたち、身体性を取り戻すことの大切さが述べられている。

 

そして、創造的に生きるには、できる、できないという価値観にとらわれず、自分の身体性に基づいてオモロイことを実践することが必要であって、一方でそのような活動を現代社会において継続することは大変難しいことであって、そのような活動を支える存在として、他人の活動を、できている、できていないに関わらず、面白がり、見守る、マスオさんのような存在としてのArt-Science Link Workerが求められている ということが述べられている。

 

こんなふうに偉そうな感じで書籍の内容をまとめてしまうのも、自分ができる依存症に侵食されている兆候でもあるように思う。

 

僕は小さい頃から、どちらかというと人よりも「できる」ことを自覚しながら生きてきた人間で、だからこそ大学で研究室を選ぶときに、富田研に強烈に惹かれたんだと思う。で、「できている」つもりで、サイエンスの体をなしているのか疑わしい、ある意味でウンコのような研究をしていた僕を辛抱強く指導し、学位取得を支援してくださった富田先生は、まさに当時の僕にとってのマスオさんだったのだろうと思った。

 

ちなみに本書でArt-Science Link Workerのことをマスオさんと呼称するのは、富田先生が婿養子であることと無関係ではないだろう。

 

ちなみに本書の参考文献として、富田先生が京都大学を退職する際に実施した祝賀会のウェブサイトが掲載されており、僕の個人的なサーバに作られたものなので、むやみにサーバを解約することが若干はばかられるようになった。 t